明版大蔵経

  酉蓮社蔵明版大蔵経

酉蓮社には、創建のきっかけとなった宝栃で、ある明版大蔵経111箱333函2,350冊が伝わっています。
大蔵経とは、中国で翻訳・著述されたあらゆる仏典を、経(ブッダの教え)・律(戒律)・論(インドの諸師による経・律の注釈書・教義書)、および印度人・中国人の著述に分類・収録した一大叢書で、最初は手書きで伝えられましたが、宋代(960〜1279)に印刷術が発達したのに伴い、盛んに印刷されるようになりました。
酉蓮社の宝物、明版大蔵経は、明代(1368〜1644)に出版された大蔵経のうち、万暦年間(1573〜1620)に刊行が始まった「嘉興蔵」と呼ばれるもので、清代に入ってからも経典の刊行が続けられていました。酉蓮社のものは清の康照年間(1662〜1722)の刊記(奥付)を持つ経典が多数含まれることから、清代に印刷されたものと考えられます。
増上寺には、徳川家康が寄進した、有名な三大蔵経(宋本・元本・麗本)がありますが、寺宝として厳格に管理され、勉学・修行に励む修学僧が容易に読むことができるものではありませんでした。そこで練誉雅山上人(?〜1757)は、彼らが日常的に閲読できる大蔵経が必要であると考え、この明版大蔵経を招請したのです。
嘉興蔵は日本に40〜50セット輸入されたと言われておりますが、西蓮社のものがどのような経路でもたらされたかについて、はっきりしたことはわかっておりません。一説には浄土宗捨世派の僧、向誉関通上人(1696〜1770)が雅山上人と意気投合して寄進したものとも言われておりますが、この話は浄土宗捨世派が作成した開通上人の伝記にしか見出せず、事実なのかどうか判然としません。
江戸時代には黄葉宗の鉄眼道光禅師(1630〜1682)が刊行した大蔵経が広く普及しておりました。この大蔵経は嘉興蔵を覆刻したものでありましたため、増上寺の修学僧たちは酉蓮社の明版大蔵経を、当時の仏教界で使われていたテキストとして使用することができました。幕末・明治期の著名な浄土宗僧侶で仏教史学者でもあった養鶴徹定上人(1814〜1891)による書き込みも見られ、よく利用されていたことがわかります。
大正12年(1923)1月に始まった『大正新情大蔵経』(〜昭和9年(1934)完成)の編纂では、増上寺の三大蔵経とともに底本・校本に採用され、その数はわかっているだけで130点にのぼります。『大正新脩大蔵経』は、今や仏典の世界的な共通テキストとしての地位を確立しておりますから、ここに至って酉蓮社の明版大蔵経は、増上寺の修学僧だけではなく、日本、いや世界中の仏教関係者に多大な思恵を与えることとなったと言えるでしょう。
酉蓮社には、この由緒ある宝物、明版大蔵経の歴史的意義を顕彰し、未来へと大切に守り伝えていく使命があるのです。

  大蔵経の系譜

酉蓮社の明版大蔵経は大正新修大蔵経の底本にも使用されております。

  大蔵経目録

酉蓮社所蔵の明版大蔵経の目録です。PDFですべてお読み頂けます。引用をする場合は出典を明記してください。

>明版大蔵経目録 1.2MB

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